物事が難しくなるのは、自分で問題を作ってしまった時だけ

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これは典型的なシナリオ。

新しい言語を習おうと決める、イタリア語、英語、フランス語、韓国語、中国語、その他いろいろ…

住んでいるエリアの学校の語学コースに入る、それから語学の本を手に入れて勉強し始める。

でも、そうするとすぐに壁にぶつかる…

名詞に「性別」ってどういうこと?

イタリア語でも別のヨーロッパの言語でも名詞に「性別」があると分かると、多くの日本人の生徒はとまどう。ヨーロッパの言語を勉強したことがなかったら、これってどんな意味って不思議に思うかも…

太郎は男の子、茜は女の子と言うだけだったら、イタリア語のどの名詞でも男性形なのか女性形なのか分かる。

男性という意味の「uomo」はもちろん男性形、女性という意味の「donna」は ― 当てて みて ― そう女性形。こうやってとらえる場合だけは、簡単に理解できそうな感じ。生物のことを引き合いに出す分には、性別はかなりクリアで、あまり問題が出ない。

でも、イタリア語のどの名詞でも2つの性別のどちらかひとつに分けられる。例を挙げよう。ドア「porta」のような名詞は女性名詞。一方で、壁「muro」は男性名詞。花「fiore」は男性名詞、そして家「casa」は女性名詞。空「cielo」、大理石「marmo」は両方とも男性名詞。そして大地「terra」、雪「neve」は女性名詞。

こういった区別は日本語にはないよね。この区別を発見した時の日本人生徒の反応はいろいろだけど、次の2つの反応が一般的かな。

  1. 「名詞が女性か男性かなんてなんで気をつけないといけないの?」
  2. 「ありゃー!難しすぎる!この言語の仕組みなんて絶対に理解できない!なんでドアが女性で、壁が男性なわけ???」

個人的には、最初の反応が好きかな。本当は全然気にしなくても良いのだけど、残念ながら皆が手に取る文法書では、全く反対のことを言っている!文法書が全て間違っているというわけじゃないけど、なぜか文法書はいつも必要以上に難しくしてしまっている。

文法書が正確に指摘していることは、名詞を引き合いに出す他の単語 ― 例えば冠詞や形容詞 ― は名詞の性別に従って形を変えなければいけないということ。

la porta bianca” → その白いドア

il muro bianco” → その白い壁

(冠詞は実際には「その」に該当しないけれども、ここでは分かりやすいように訳したよ。冠詞については、ここからもっとチェックして!)

ご覧の通り、実際に名詞が男性形か女性形であるかが問題となる。

でも…

その1 ― 間違いを恐れないこと!

イタリア語では冠詞と形容詞にも「性別」がある。関連する名詞に従って性別が変わる。だから、「白い」は「muro」と一緒に使うと、「bianco」、「porta」と一緒に使うと「bianca」になる。最後の音の「o」と「a」が変わるだけ。

間違った語尾を使ったらどうなる?

「porta bianco」とか 「muro bianca」って言ったらどうなる?

ちょっと読むのをやめて、推測してみよう…

 

 

間違った語尾を使っても、ネイティブスピーカーは問題なく理解するから大丈夫!もちろん、イタリア語を話そうとしている外国人だってすぐに見抜かれるだろうけどね。でも、それはたいしたことじゃない。

一番大事なことは、「文法の間違い」があったって意図を伝えることはできるということ。コミュニケーションがだめになるってことじゃない。

その2 ― 人が言語を理解する順序

熱心な生徒は新しい言語を学ぶ際、目標は習っている言語をスムーズにきちんと話せるようになること。

イタリア語のネイティブスピーカーは、引き合いに出す名詞の性別に応じて、形容詞の語尾を絶対に変える。疲れていようが、酔っ払っていようが、落ち込んでいる時でもね…!

どうしたらそうなるんだろう?

それはまさに子供がするように、人は言語を使うことによって身につけその過程で正しい音や間違っている音に対して耳が発達する。そうすると、意識して考えなくても、「文法の規則」を適用できる。

日本語でも同じことをしているよね。子供として日本語を身につける時、話し方なんて習わなかったよね。ただ他の人が言うことを繰り返して、知らぬ間に脳に日本語の文法が入って来る。

例えば、文章の中で「は」と「が」のどっちを使うかなんて不思議に思ったことはないはず(日本語を学ぶ多くの外国人はこの区別に苦労している)。それは日本人なら自然にできるもの。

それはさておき、元に戻ろう。それじゃあ、どうしたらそれが自然にできるんだろう?

答えは極めて簡単。それは、あなたは生まれつき本物の日本語の環境に触れてきたから。同じことを何度も何度も聞いて、常にコミュニケーションがある本物の生活環境にいたお陰で文法や語彙の微妙な点を理解できた。

赤ちゃんは最初に言葉を学ぶ時、普段の生活で聞きなれている言葉を口に出し始める。まずは片言から。その後に2、3語の簡単な文章、「パパ、バナナ、食べる」。ほとんどのこのような簡単な文章は構造化されていなくて、一番簡単な文法の規則ですらねじ曲げて破る。でも、赤ちゃんは、すごくうまく周りに理解される。時が立つにつれて、赤ちゃんの文章は両親や他の大人の話し手が発する言葉をだんだんと真似し始める。

だからまずは理解されるように話すことに集中する。それから時間をかけて練習する。そうすると、だんだんネイティブの話し方に近づいて来る。

新しい言語を学ぶ大人の問題は、「間違い」をせずに習っている言語を話そうとしすぎること。間違いはイヤだ、間違いが心配、間違えたらバカに見える、上手くないって思われる…そう思われることが怖いんだ。
これは日本人だけでなく、意外にもどの国の大人の生徒にも共通する問題なんだ!

残念ながら、新しい言語を話すことを覚える方法はひとつ、、、しかない。それは、間違えても話そうとすること!

新しい言語を学ぶ学習段階の一部なんだから、間違いを受け入れて、途中であきらめないようにしよう。

その3 ― 大人は新しい言語を習得できない?それは、大間違い!

今あなたはこう思っているかも知れない、「子供は言語を学ぶ生まれ持った能力があるけど、成長するとそれがなくなる!」

このセオリーは長い間、真実だと捉えられていたけれども、ラッキーなことに、間違いであることが証明された。

新しい言語を学ぶ能力は成長しても損なわない。環境によるものだから。

しかも大人は、いい環境下にあると、子供よりも語学をもっとうまく身につけることができる。

幼児は世界を知らない。すべて自分たちで見つけないといけない。世界を知るプロセスにはとてつもなく時間がかかる。

それに比べてあなたはネコが何なのか、ネコがどう鳴くのかを知っている。そして、犬は噛むことがあるとか、火で指をやけどするとか、花は良いにおいがすることももう知っている。

当然夜が明けることを知っている。

言語を学ぶ大人の生徒に一般的に欠けているものは、学んでいる言葉を理解する時にその言語に多く触れることができる環境。従来のほとんどの語学クラスでは教わる言語を使わない。ただ言語について語るだけだ。

それじゃあ、この状況をどうやって変えていけば良い?

ありがたいことに、「理解可能なインプット」を語学学ぶ生徒に提供する目的で多数のテクニックが開発されている。

TPRとTPRSはそのテクニックの中の2つ。私が日本人生徒に普段使っているテクニック。TPRとTPRSは言語を吸収することができる環境にあなたを置くように特別に設計されている。このテクニックは、子供が最初の言語を習得する方法にかなり似ている。

これはすごくおもしろいトピックだから、ここからTPRとTPRSについてのわたしの投稿をぜひチェックしてほしい。

その4 ― 文法の定義で迷わないこと!

イタリア語の名詞の性別を発見する日本人生徒の2番目の典型的な反応に戻ろう。

「ありゃー!難しすぎる!この言語の仕組みなんて絶対に理解できない!なんでドアが女性で、壁が男性なわけ???」

まあまあ、誰でもドアや壁が生物じゃないって分かっているよね。女性のドアや男性のドアなんてない。

実際のところ、名詞の性別は生物の性別とはほとんど関係がない。

上述の言葉をよく見ると、パターンが分かるよ:

  1. porta, casa, terra → 女性名詞
  2. muro, cielo, marmo → 男性名詞

「porta」、「casa」、「terra」は「a」で終わる。またいわゆる「女性名詞」というグループに属している。実際には、冠詞や形容詞を伴うと、同じ形になる:

  1. la porta bianca
  2. la casa bianca
  3. la terra bianca

逆に「muro」、「cielo」、「marmo」は全部「o」で終わって、別のグループに属する:

  1. il muro bianco
  2. il cielo bianco
  3. il marmo bianco

どちらの名詞に属するかというグループを定義することは、最後の母音字。だから「タイプa」と「タイプo」として2つのグループをもっと簡単に定義することができる。

分かる?もう女性のドアと男性の壁じゃないよ!

日本語では、「匹」、「羽」、「頭」と数える動物がいるように、イタリア語の名詞は2つのグループに分かれるだけ。

しかも、うさぎは鳥じゃないのに「羽」と数える理由がないように、最後の母音字以外でもなぜあるグループに属するのかという理由はない 😀

あなたがしっかり見ている人なら、除外されている名詞にもう気づいているよね:

  1. fiore → 男性名詞
  2. neve → 女性名詞

一部の名詞は「a」や「o」でなく、「e」で終わる。でも、上述通り「タイプa」か「タイプo」名詞の2つのグループのひとつに属する。それにくっつく冠詞と形容詞は、それに応じて異なる:

  1. il fiore bianco
  2. la neve bianca

「e」で終わる名詞なら見ただけでは実際に「タイプa」なのか「タイプo」なのか分かる方法はない。ケースバイケースで覚えるしかないけれども、思ったほど難しくないよ。

イタリアの子供たちは、きちんと名詞の「タイプ」のはっきりとしたメンタルイメージを持っている。だって名詞は冠詞の後にあって、よく ― 必ずしもというわけではないけれども ― 形容詞に続くから。

言い換えれば、あなたがいつも「la neve」と聞くと、 ー 絶対に「il neve」ではない ー 自動的に「neve」は「タイプa」に属すると推測できるようになる。

解決されていないことが最後にひとつある。どうして文法家は2種類の名詞に「男性形」と「女性形」という名前をつけたのだろうか?

それは、性別を持つ生き物を引き合いに出す時には、「男性形/女性形」の区別は実際に意味をなしている。男性「uomo」、少年「ragazzo」、男性教師「maestro」は本当に男性のことを示している。一方で女性「donna」、叔母「zia」、女性店員「commessa」は明らかに女性だ。

実際の所、イタリア語の名詞タイプのシステムは他の言語に比べるとかなりシンプルに見える。

もっと複雑な言語についてはこの記事をチェック!

まとめ

新しい言語を学ぶことは確かに時間と情熱が必要。でも、その過程を楽しまない理由はない。Kallamaでは次の3つのことを心に留めておくことをお薦めします。

  1. 間違いを恐れていたら新しい言語を習得することなんて不可能。日本の学校の典型的な語学クラスの「正しい解答」の学習方法は、語学学習では最大の敵。
  2. 誰でも新しい言語を学べる、それは子供も大人も同じ。子供は常に大量の新しい語学に自然にさらされるから、簡単にスタートを切ることができる。それはまぎれもない事実。反対に大人は、新しい言語を吸入するために好ましい環境を自ら作り出すことができるのも事実。言い換えれば、2歳児じゃないからっていうだけであきらめないで!
  3. 文法定義はよく混乱を招く。もしあなたが母国語と異なる言語を初めて学ぼうとしているなら、母国語にはないユニークな言語の特徴に最初戸惑うのは想定内。でも、そこから苦手意識を持たないで!ほとんどの場合、その特徴を意識する必要すらない。気がついたら自然に頭の中で方法が見つかるよ。

乞うご期待、alla prossima(またね)!

Arturo


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